皇帝から帝王への血の継承
2014年7月3日、北海道新冠町の乗馬施設・遊馬らんどグラスホッパーで一頭の牡馬が産声を上げました。母はキセキノサイクロン。父は2013年8月に亡くなったトウカイテイオーです。牡馬は、偉大なる父と最愛なる母の名をもらい、キセキノテイオーと名付けられました。
トウカイテイオーの父はシンボリルドルフ。史上初となる無敗での3冠制覇をはじめ、積み上げたGIタイトルは7つ。史上最強馬との呼び声も高く、「皇帝」と謳われました。
そのシンボリルドルフが初年度に輩出したのがトウカイテイオー。物語は「皇帝」から「帝王」に継承されていきます。
「皇帝」の能力は「帝王」にも受け継がれました。1990年12月1日の新馬戦で見事勝利を飾ったトウカイテイオーは他馬を寄せ付けずに勝利を積み重ねていき、ついには無敗のまま皐月賞、日本ダービーを制しました。その後は2度の骨折に見舞われるという憂き目にあいますが、1992年11月29日に行われたジャパンカップ(GI)では各国の名馬を退け、見事ダービー以来となるGIタイトルを獲得しました。
しかし、トウカイテイオーは年度末に行われた有馬記念(13着)後にまたしても骨折。長期休養を余儀なくされました。
もうトウカイテイオーは終わった
そんな声も囁かれましたが、1993年12月26日、約1年ぶりとなる有馬記念で見事に勝利。奇跡の復活を遂げました。中364日でのGI勝利という記録はいまだに破られていません。
こうしてトウカイテイオーは自らの存在価値を存分に示したうえで、自身の血を後世につなげるべく、種牡馬入りを果たしました。
トウカイテイオーはこれまで19世代にわたって産駒を残しましたが、残念ながら後継となる種牡馬を輩出することはできませんでした。産駒の中にはマイルCS(GI)を勝利したトウカイポイントがいますが、セン馬のため種牡馬にはなれなかったのです。
しかし何としてでもトウカイテイオーの血を後世につなげるべく、2019年、クラウドファンディングにより、クワイトファインが種牡馬入り。キネオスイトピーという繁殖牝馬との間に、2021年5月29日、牝馬が誕生しました。
トウカイテイオー最後の産駒・キセキノテイオー
キセキノテイオーは、トウカイテイオー最後の産駒です。母馬のキセキノサイクロンはサラブレッドですが、もともとは馬術競技用の繁殖として導入されたとのことです。ですが、せっかくだからサラブレッドを種付けしようという話になり、スタッフがファンという理由でトウカイテイオーの種をつけることになりました。
このときすでに種付けの受付期間は終わっていましたが、オーナーの快諾を得て2013年7月10日に種付けすることができました。
ところがその1か月半後、トウカイテイオーは突然の心不全で急死してしまいます。
こうしてキセキノテイオーは、トウカイテイオーの最後の産駒として2014年7月3日に産声を上げることになったのでした。
それから6年。体が小さかったため、競走馬ではなく乗用馬として過ごしていたキセキノテイオーに転機が訪れます。2020年秋に行われたエンデュランス競技で見事上位に入り、能力の片鱗を見せつけたのです。
貴重なトウカイテイオーの血を後世につなげるために競走馬にしたい。
ここから、キセキノテイオーの新たな物語がはじまりました。
2021年を迎え、キセキノテイオーはすでに7歳。競走馬になるためにはホッカイドウ競馬の能力検査に合格する必要がありますが、年齢を考えると最後のチャンス。もう後はありません。
2月、キセキノテイオーは門別の岡島玉一厩舎に入厩。デビューに向けてトレーニングを開始しました。そうして迎えた6月15日の能力検査ですが、残念ながら基準タイムを超えることができず、不合格に終わってしまいます。
しかし28日、2度目となる能力検査では1000mを1分8秒6で走り切り、1分9秒以内という制限タイムを見事クリア。デビューへの切符を手に入れました。
7月22日、キセキノテイオーはいよいよデビュー戦を迎えます。
皇帝シンボリルドルフから帝王トウカイテイオー、そしてキセキノテイオーへと紡がれる物語。その先にはいったいどんなドラマが待ち受けているのでしょうか。